家族とのあいだを気まずくし、友人を怒らせ、職場の同僚を敵に回し、雇い主を憤慨させ、世間から孤立するなどということができるだろうか。議論しても負けるだけだ。私たちは経験からそう確信している。うつむいてひたすら黙っていれば安全だ、と私たちはこれまで学んできたのではないだろうか。インディアンのネズパス族の偉大な指導者であったジョセフ酋長は、降伏する際に涙を流しながら、私はこの先、永久に戦わないと宣言した。その言葉を自分自身が繰り返しつぶやいているのが聞こえているのではないだ議論を恐れるな、毎日を納得して生きよろうか。議論をできなくさせるこの恐怖を、いったいどうすればいいのだろうか。私自身、法廷に立って議論をはじめようという時には決まって、恐怖心がお腹のなかでわめき声をあげているのを感じる。論題に関して、自分よりはるかに深い知識を持っている著名な専門家に反対尋問をはじめる時もそうだ。負けるのではないだろうか。無能だと思われるんじゃないだろうか。彼と議論するなんて大それたことができるだろうか。陪審員に恥をさらして注目され、意地悪な目をした敵陣営にみじめな姿を笑われて、法廷からこそこそと逃げることになるのではないだろうか。
top > 戦後等やアントワネット