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言葉列なる家族

私たちが映画の1シンを見て感動し、涙を流すのは、私たちが泣くより前に、俳優が泣いたから。心から泣いたからだ。台本には涙はない。涙は俳優の決断力から出てきたのだ。俳優は他人の悲しみから泣くのではなく、自分の悲しみから泣く自分自身で悲しい思いをしたことが一度もなければ、泣くことはできなかったはずだ。私たちの涙を誘う俳優の演技は、彼の議論として捉えることができる。彼は私たちの関心と共感を得るために、議論をしている。彼が自分自身の悲しみを表現するのは、私たちも同じように悲しみを経験していることがわかっているからだ。もし私たちが一度も悲しみを味わったことがなければ、もし自分自身の決断力を持っていなければ、彼が演じたシーン、すなわち彼自身の議論は、完全な失敗に終わっただろう。成功する議論とは、自分の世界観や行動規範を持った人々のあいだで行なわれるコミュニケーションであるということがわかりかけてきたのではないだろうか。さらに、自分が論じるということは、相手にも論じ返す権利があると認めることだ。私が話し、聞いてほしいと要求することは、聞ポリシーのない人との議論は不毛である私の悩みは何か当ててごらんなどという名前のゲームはない。